散歩のついでに7
庚申堂(こうしんどう)にて 猿と申
賑やかな1日でした。3年前の11月24日、友人の「おっちゃん」と2人で旧東海道の散歩をしていました。いつもは静かな天王町の商店街もお祭りで人だらけ。そんな中人目を引いたのが「猿回し」でした。若い女性の猿回しさんの指示で飛び跳ねたり、路上に転がったりと、思わずチップも弾みました。「撮影料込ね」とか言いながら。
天王町駅前の旧東海道の表示に沿って歩いて旧相州道に出ました。真っ直ぐ行けば、カルガモの会の前のバス通りです。信号を渡ると古ぼけた小屋の前で数人の方々が、何やら準備をされていました。尋ねると「庚申祭りがあるんです。よろしかったら、参加しませんか」と、急いでいるわけでもないので図々しく参列させて頂きました。神主さんが現れ、祝詞を上げられました。終わると「ありがとうございます。これを持っていきなさい」とお供え物の果物を分けて頂きました。
この「庚申堂」を管理している「神明社」のHPに詳しい説明が載っていますが、私が解釈したところ、庚申(こうしん)は“かえのさる”とも読み、中国の道教に由来し、60日に一度回ってきます。人の体内には「三尸」(さんし)と呼ばれる三匹の虫がいて、庚申の夜に、この虫が身体から抜け出して天帝様(宇宙を司る神)に悪事を報告に行くといわれます。そこで三尸を身体から出さないために、一晩中寝ないで朝まで起きていなくてはならない。 まあ、朝まで飲むための言い訳にしか聞こえませんが、昔は皆さん楽しみにしていたんでしょうね。
庚申堂のなかには庚申さまと呼ばれる石像が2体祀られています。これは青面金剛像とも言われ、三尸を食べてくれるのです。そしてこの石像には三猿が必ず彫られています。この猿は庚申の申(さる)からとか、三尸に告げ口されないように見ざる聞かざる言わざるに由来するとか言われているようです。
ここの庚申様は江戸時代、初期に作られたものでした。この周りで多くの庶民がお酒片手に世間話に朝まで興じていたのでしょう。一方、猿回しの歴史も古く奈良時代からという説も。でも最も盛んだったのは江戸時代です。天王町のお祭りに来てくれた猿回しさんとお猿さん、マスク代わりに言わざるの恰好してるのかな。また元気な姿が見られるとよいけど・・
2つのサル、猿と申のお話でした。
(写真・文:大場 由隆)