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横浜市中途障害者地域活動センター

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散歩のついでに31

大尾(だいお)さんにインタビュー

カルガモの会の初代所長であった大尾さんにインタビューをしました。 数年前バスハイクで江戸東京博物館に行ったときのことです。昼食のテーブルでは利用者のYさん、大尾さん、私の3名でした。その時大尾さんのYさんへの接し方を見ていて、まるで自分の娘のように愛情が溢(あふれ)ていらっしゃる。その印象が今でも強く残っていて、どんな方かお話しを伺えたら・・と思っていたのです。

で、大尾さんを目の前にしてカルガモの会でインタビューは始まりました・・

大場 「最初に名字なんですが、僕自身は初めて聞くんですが・・」

大尾 「鹿児島県の阿久根市に大尾(だいお)という地名があって・・そこに行くとやたらと大尾が住んでまして。三文判も売ってますよ、横浜にはないのね・・」

大場 「カルガモの会を始めたきっかけ、エピソードまたは一番ご苦労された点は」

大尾 「保土ケ谷区で社会教育指導のお仕事をしていましたが、それが任期を終えるころ、この仕事をやってみないかと言われたのがカルガモの会の所長でした。会の立ち上げと運営でした。中途障がい者の生涯学習のお手伝いとしてとらえ引き受けました。区によって違いもかなりあり、試行錯誤でした。保土ケ谷区で最後まで問題になったのは工賃の事。利用者さんからの反発が大きく、開所するまでに時間がかかりました。」     

大尾さん

大場 「私が今日一番聴きたいと思ったことは、どうして大尾さんは愛情を持って誰とでも接することができるんだろう、このような人がどうやって生まれてくるんだろう、という点なんです。」

大尾 「父を早くに亡くして母の実家で過ごしたの。まあ、人の出入りが多い家でね、祖父は保護司、祖母は民生委員だったこともあってね。色々な人との関わりを見て育ったせいか子どもの頃から関心があったんですね。人は最後には年を取り、身体も弱ると悟ったのね。
小学校2年生のとき、将来は島を買って、そこに高齢者、障がい者、孤児など皆がお互いに助け合って暮らしていけたらという夢を絵に描きコンクールで賞を貰ったことがありました。お節介で人の喜ぶことをする、頭の中がそういう発想だったのね。周りからすればちょっと変わった子どもだったかもしれないですね。
見て見ぬふりが出来ず、つい手を出してしまう。義父の介護を通して介護福祉士の資格を取って仲間と役割分担をして認知症のミニデイ(*1)や送迎など、制度外の活動をしていました。家族ぐるみで支援したい、知り合った方はみんな親戚や兄弟だと思ってます。
でも自分のやり方が時代にそぐわないなと思い、菊池さんに所長をお願いしたんです。」
*1)ミニデイ=デイサービスの小型化したもの

大場「利用者側の変化した点、現在でも変わらない点ってありますか?」

大尾「(会を作ったころは)自分たちで自主的にやろうとする、意見をしっかりと持っている方々が多かった。自分たちがやりやすい施設を作っていこうと、多少の意見の違いのあるメンバーとも意見交換をして、エネルギッシュに活動していました。利用者だった方の奥さんから“あの頃の主人が人生で一番生き生きとしていた”と言われたことがありました。現在は施設があるということが活動の前提になっています。
変わらないことはピアカウセリング(*2)の場であること。お互いに学びあう、当事者同士だからわかりあえる、素直に言葉にすることができるし聞くこともできる、そういう点ですね。」

*2)ピアカウンセリング=「ピア」とは「仲間」や「対等な立場の人」という意味です。ピアカウンセリングとは、同じような立場や悩みを抱えた人たちが集まって、同じ仲間として相談しあい、仲間同士で支えあうことを目的としたカウンセリングのことです。(加古川市HPから)

最後に大尾さんから私たちへの応援メッセージです。

『障害を持ってしまったからこそ、真の自立を目指しましょう。』
自分を知り、病気や障害を正しく知り、周囲の人を思いあって自分のできることは惜しまぬ努力を、チャレンジ精神を忘れずに、前向きにいきましょう』
『カルガモの会は皆さんのためにある施設です。上手に利用して次の同じような誰かに渡してあげてください』
『焦らず・諦めず・威張らず・くさらず・負けないで』

インタビューを終えて 先日は本当にありがとうございました。大尾さんの“愛情溢れる”気質が子どもの頃から始まっていたとは驚きでしたし、とっても納得ができました。これからも見守っていてくださいね。

編集 大場由隆

今月の作品「ひよこの小物入れ

カトラリーBOXとソープフラワー