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横浜市中途障害者地域活動センター

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散歩のついでに22

3月8日脳出血で倒れてから6年を過ぎて

「大場さん、8月31日来られる?」と広報委員の角田さんに言われて、行ったのが「中途障害者の障害受容について」という横浜市総合リハビリテーションセンターの小田芳幸さんの講演会でした。保土ケ谷公会堂で行われ、カルガモの会の菊池所長も二人目の講演者でした。

小田さんはとても深く、誠実に私たち障がい者のことを考えておられ、講演内容をまとめたパワーポイントにも、背景に彼のこれまであらゆる経験が感じられました。  お話しの中で最も印象に残ったのは「完全に『障害受容』することなどできない。」という言葉でした。これは田島明子さんの『障害受容からの自由-あなたのあるがままに』の提言です。これは専門家、支援者に向けてのメッセージではありますが、はたして自分はどうして来ただろうと思いました。

以下の文章は倒れてから5年後(2021年)に書いたものです。長いですが・・・

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脳出血で倒れてから5年たちました。本当に月日が経つのは早いですね。再発することもなく、この日を迎えられたことに感謝しています。

5年前の3月8日、午後7時ごろ会社で残業をしていた私はトイレから出てきて足が動かなくなり、事務所で倒れて救急車で病院へそのまま入院しました。脳出血でした。ただ倒れて10日間位の記憶はほとんどないのです。ベッドの横で家族が心配そうに見ていたのだけ覚えています。横浜のリハビリ専門病院へ転院して、若い理学療法士さんとリハビリしたり、同じ年代の患者仲間ができたりしました。また多くの方々にもお見舞いに来ていただきました。

 後遺障害は右半身に残りました。脳の左視床という場所の血管が切れたからです。脳神経は左右交差しています。出血するとその水圧で脳内の神経がダメージを受けるからだと聞きました。私は左視床出血、右片マヒ、異常知覚(痺れ)、失語症、高次脳機能障害、と評価されていました。これだけの問題が起きるわけですから、脳は中枢だということなのでしょうね。歩行が遅くなりました、今までの3倍は時間がかかるでしょうか。
 退院後、新横浜のリハビリテーションセンターへ通院しました。ここは今までの病院とは違い職業訓練、社会復帰のための相談などもやっています。ただ家にいる時間が長くなって、この頃が精神的にはきつかったです。人生で初めて自殺を考えたこともありました。
 10月ごろから会社のある東京の浜松町へ、週1、2回いきました。通勤リハビリです。最初の頃はホームを歩くのもおっかなびっくりでした。人通りの多い駅や電車、数十メートルある横断歩道を渡ったり、街歩き一つ一つが緊張の連続でした。でも浜松町に戻ってこられたのは嬉しかったのです。

 倒れたのは、全く自分のミスです。倒れる半年前、人間ドックで医師に血圧が高いからと、降圧剤を貰っていたのに途中で止めたのです。血圧は当時180位だったとおもいます。
なんの自覚症状もなく、忙しくしていました。本業のツアーオペレーターの営業(旅行会社の下請けで、中近東、アフリカの現地手配)に加えて土日休みに登山ツアーの添乗員をと忙しかったけど楽しかったのです。なんだ、大丈夫じゃない。いつしか、血圧が高いことさえ忘れていました。
 本末転倒、無自覚、救いようがありませんよね。加えて父方の祖父、祖母、叔父2人は脳卒中、父は動脈瘤破裂と、血管を切ったり詰まらせる上では”名門”の家系なのです。
 倒れるべくして、倒れたのです。

 後悔が残りました。あの時何で薬をやめちゃったのか・・深夜のベッドの上で、夕方のバスの中で、ふとした時に亡霊のようにあらわれるのです。後悔したところでどうしようもないのに・・
 あるおばあさんとの出会いがバスの中でありました。コロナ禍の前です。私の座席の横に立っていらっしゃって、色々話を聞いて頂いて「でもね、あなたは今倒れて良かったのよ。先で倒れたら今のように一人で出かけられなかったかもしれない・・」と。
 おばあさんは障がいのあるお嬢さんを20歳位で亡くしたそうです。「でもね、あの子はあの時亡くなって、良かったのよ。」と言いました。おばあさんがそう言えるまでには、きっと川のように涙を流されたのだと思います。「これからね、シャンソンのお稽古があるのよ」バスが着くと飛び跳ねるようにおりて行かれました。
 おばあさんに出会ってから“亡霊”は姿を見せていません。

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 私はこのおばあさんのお陰で初めて「受け入れる」ことができたのだと思っています。58歳で倒れて、一度死んだ。いまは第二の人生、おまけ、生きていたのが儲けもの、と思うことにしています。
 ただ講演を聞いてみて、日常の自分は受け入れたように振る舞っています。けれど自分の心の奥底にもう一人の自分が座っている気がします。「あなたは本当に納得したの?」と呼び掛けてみましたが返事はなく、表情は陰になってよく見えませんでした。

講演会の会場にて、カルガモの会の皆さんの作品が展示されました。

カルガモの会の皆さんの作品

文責 大場由隆